雨上がり宮迫 鳴かず飛ばずの時期に自殺未遂?!

      2017/10/19

お笑いコンビ、雨上がり決死隊といえば、最近では当たり前のようにTVでよく目にするが、宮迫博之(44)が5日放送のTBS系のトーク番組「サワコの朝」に出演した際、東京に進出して鳴かず飛ばずの時期に自殺を考えたことをインタビュアーの阿川佐和子に明かし、話題となっている。

 

 

雨上がり決死隊は、2人共吉本総合芸能学院(NSC)出身で、1988年度の7期生にあたり、NSC時代の同期生には、ナインティナインの矢部浩之の実兄、そして、2年後輩にはナインティナインがいる。

 

お笑い芸人は、ブレイクまで時間がかかったり、関西方面では知名度が高いが、東京進出しておらず、全国ネットではあまり知られていないといったケースもあるのだが、雨上がり決死隊がコンビを結成したのが、1989年。

 

1992年1月、第13回ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞を受賞しているのだが、最優秀新人賞はナインティナインが受賞しており、ナイナイはその後、東京進出を果たし、ブレイク、冠番組を持つほどになったものの、同時期に結成した雨上がり決死隊は、東京進出までに時間を要することとなったようで、宮迫は、東京に出たときに全然仕事がなかったと26歳の時に、特に展望もなく東京に拠点を移した当時を振り返っている。

 

デイリースポーツによれば「吉本の事務所に行っても『何しに来てん。知らんぞ、お前らみたいなもん』と。自分らでやりますわと思ったんですが、すごい追い込まれて。精神的にすごい病んでたんです。
ある時、ピークになって目をつぶって赤信号を渡ったんです。トラックが急停車して。『死にてえのかっ!?』っておっちゃんが言うんです」と運転手の男性に怒られたことを回想。宮迫はその時、黙ってうなずいたそうで、すると男性から「ダメだよ、ダメだって~」と思いとどまるように諭された。
(デイリースポーツより引用)

 

相方の蛍原徹に電話すると、蛍原もマンションの7階から飛び降りることを考えていたというから、このコンビにとっては、精神的に一番厳しい時期だったのだろう。

 

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そんな彼らが再び注目をあびたのが、1999年に人気番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』への出演なのだという。

 

当時、多くの若手芸人の目標であり、影響を受けたといわれるダウンタウンの番組「ガキの使いやあらへんで」に出演が決まったことが転機となったようだ。

 

宮迫と蛍原は状況を打開するために一か八かを狙って打ち合わせとはまったく異なることを本番でやったという。「ダウンタウンさんにものすごい失礼なことをしようとして、何千通りもシミュレーションをしたんです」と宮迫は語る。

 

当日、周囲が一瞬凍ったなかダウンタウンの松本人志は笑って受け入れ、宮迫は「そこから何やってもぼかぼかうけた。その時の視聴率が20%を超えたんです。次の週に5本仕事が入りました」と番組内で誇らしげに語った。

 

阿川が「賭けましたね」と驚くと、宮迫は「賭けました。怖かったですよ。終わってから下半身べたべたになってました。汗だと思いたいんですが、ちびったかも分からない。それくらいに怖かったです」と話している。

 

最近では、司会の仕事も多い雨上がり決死隊。
宮迫、蛍原ともに進行が出来るベテランで、今では冠番組を持つほどになっているが、こんな過去があったとは驚きだ。

 

自殺がよぎっても乗り越え、その仕事以降、人気芸人の仲間入りを果たしたのだというのだから、どんな仕事がきっかけになるのかわからない。

 

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