【27時間テレビ】光GENJIとSMAPについて

SMAPが27時間テレビの中のコーナーとして「27時間ナショー」に出演した。

 

 

ワイドナショーは、ワイドショースタイルで様々なニュースを取り上げていくトークバラエティ番組だが、この番組の中でSMAPにも様々な質問が及びそれに本音で答えていく。

 

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「芸能界に“定年退職”は必要か」という話題で「生涯現役でいてほしい有名人ランキング」に1位・明石家さんま、2位・タモリ、3位・北野武のいわゆる“ビッグ3″が名を連ねていることに、松本が「若い時は邪魔でしょうがなかった。でも歳を取ると“まだこんな感じでがんばれるんや”と目標や励みになる」とのニュアンスで語ると、その話題からの流れでSMAPには「邪魔な存在はいたのか」という話になった。

 

中居は「恥をかいてスタートしたのが大きかった」木村も「ダメというところがスタートラインなので。先輩が邪魔だなという考えすらなかった」と語る。

 

松本からは「(SMAPは)サラブレッドではなかったのか」と質問されると、話は光GENJIとの違いに及ぶ。

 

稲垣は「僕らの1つ上の先輩は光GENJIさんだったんですけど。『YOUたちは光GENJIのメンバーの1人にも6人はおよばない。ファンの数が』と、はっきり言われた記憶があります。だから頑張らないといけないな、と」。と語ると、中居も光GENJIについて、あまりにも凄過ぎて半端じゃなかったと語った。

 

ジャニーズで一番すごいグループはといわれれば、たのきん、少年隊や嵐、SMAPの名が挙がるのだろうが、実際にスゴイと感じるのは、光GENJIであり、「レベルが違う」と中居は別の番組でも話していた事がある。

 

SMAPから凄過ぎるといわれた光GENJIは1987年にデビュー。

 

1995年に卒業(解散)しており、活動期間は意外と短い。

 

SMAPはその次の世代のグループというイメージが強いが、SMAPのグループとしての活動開始は同じく87年(デビューは91年)なので、実際、メンバーの歳もあまり変わらず、同じ時代を過ごしているのだが、当初、あまり目立つ存在ではなかったようだ。

 

SMAPは、1991年に西武園ゆうえんちでデビューイベントを開催し、デビューを飾るが、デビュー曲の『Can’t Stop!! -LOVING-』は残念ながらオリコン1位の獲得はならず、それどころかしばらくはCDの売上もなかったという。

 

光GAENJIのバックで踊り、バックダンサーの立場から、常にファンでいっぱいになった席を見てきたSMAPのメンバー達が、自分たちの最初のコンサートでアリーナのうしろがガラガラだったのをみて、どのような気持ちになったのだろうか。

 

今や国民的アイドルグループとも言われているSMAPだが、絶大な人気を誇った光GENJIに隠れて芽が出なかったということもあるのだろう。

 

しかし、時代的にも生放送の音楽番組が衰退し始めた1980年代後半から1990年代初頭以降のデビューであったことも、大きいのかもしれない。

 

たのきんトリオ、しぶがき隊、ジャニーズ以外では、松田聖子、小泉今日子、中森明菜などがデビューしたのも80年代前半、アイドル全盛期だった頃に生放送されていた「ザ・ベストテン」、「夜のヒットスタジオ」など著名な音楽番組が次々と終わりを向かえるが、これらの番組から歌手の人気に火がつくパターンも当時は多かった。

 

光GENJIはこれらの番組に出演しており、トレードマークであるローラースケートとともに一気に社会現象となり、テレビでの露出も多くその姿はインパクトも強かった。

 

しかしその後、90年前後はアイドル氷河期といわれる時代に入り、アイドル全体が低迷していた。

 

そこでSMAPはバラエティー路線へと方向転換、1992年スタートの土曜深夜番組『夢がMORIMORI』(フジテレビ系)に出演することになるが、これが大きな転機となり、その後の活路を見出したともいわれている。

 

その後1994年に12作目の『Hey Hey おおきに毎度あり』で初のオリコン1位を達成すると、以降ヒット作に恵まれ、2003年には『世界に一つだけの花』でダブルミリオンを達成するまでの国民的グループへと成長してきた。

 

アイドルがバラエティーもこなし、司会を務めることは、今では特別なことではないが、SMAP以前にはそれ程あることではなかった。

 

それまでは、グループ人気を経たのち、個々の活動が増えるパターンの方が多く、バラエティー、司会、俳優業と多彩に活躍し、特にグループメンバー全員が活躍することなど見られることはなかった。

 

しかし、個々の活動を通じて、グループ全体の人気を押し上げるスタイルで確実に人気を得てきたSMAP。

 

現在の嵐やTOKIO、V6、KinKi Kids などバラエティーや司会をこなすジャニーズが増えてきたその礎を築いたのは、やはりSMAPなのだとおもう。

 

爆発的な人気があったのは光GENJIかもしれないが、後にSMAPもジャニーズの歴史の中で、新たな道を作った功労者と呼ばれる日がくるのではないだろうか。

 

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