故・大滝詠一さん お別れ会!一般向けに追悼献花台と縁の品々の展示

昨年12月30日に解離性動脈瘤のため亡くなった歌手で音楽プロデューサーの大滝詠一さん(享年65)のお別れ会が21日、ソニーミュージック乃木坂スタジオで行われた。
お別れ会は大滝詠一さんをしのび、ソニー・ミュージックレコーズとフジパシフィック音楽出版が主催したものだという。

 

又、同ビルが会場に選ばれたのは、大滝さんが晩年アルバムを作るために多くの時間を過ごしていた所なのだそうで、故人の思い出に浸りながらの参列となった。

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そして、この日は大滝氏の大ヒット作である”A LONG VACATION”(ア・ロング・バケイション1981年3月21日発売)がリリースされた日と同じ日にあたるのだという。

 

大滝氏のこの”A LONG VACATION”だが、ウォール・オブ・サウンドという当時としては珍しい「多重録音と巧みなエコー処理により、まるで音の壁のようなぶ厚く、迫力のあるサウンド」に仕上げた作品で、80年前後の邦楽界では斬新なものだったといわれており、その事を物語るように、当時はこの録音に約1年を費やしたといわれている。

 

そして、大滝氏はそのウォール・オブ・サウンドを用いた筆頭であり、山下達郎なども影響を受けたといわれているが、大滝はいち早くJポップの方向性を示し、後進に多大な影響を与えた。

 

大滝氏はソロ活動を行う少し前からロックバンド”はっぴいえんど”で活動していたが、関係者向けに行われた式典では、遺族の他、その”はっぴいえんど”のメンバーが参加し、細野晴臣(66)、松本隆(64)、鈴木茂(62)の3人がそろって遺影の前に立ち、弔辞を読んだという。

 

“はっぴいえんど”のメンバー、作詞家の松本隆さん(64)は
「僕の言葉と彼の旋律は毛細血管でつながっている。もう作る力がない」と悼んだ

鈴木茂(62)は
「初めてアメリカに行ったとき、エレベーターに大滝が閉じこめられて、みんなで助けに行ったことを昨日のように思い出す」とほほ笑ましいエピソードを明かした。

細野晴臣(66)は
「老後、ぼそぼそと音楽の話をするのを楽しみにしていたのに」と惜しんだ。
(日刊スポーツより引用)

 

大滝さんの遺影は82年、TBSラジオ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」収録時の写真が飾られ、音楽界からは甲斐よしひろ、佐野元春、ウルフルズ、サンボマスター、あがた森魚、杉真理、伊藤銀次、俳優の佐野史郎、タレントの清水ミチコ、高田文夫さんら、又、大滝氏が主題歌を提供した松たか子がヒロインのドラマ「ラブジェネレーション」(97年)に出演した松ら関係者含め、250人が参列したという。

 

スポニチの記事によると

大瀧さんは亡くなる1週間ほど前に風邪をひき2日間寝込んだそうで、実際は風邪の症状がなかったものの、足腰に力が入らず立って歩けない状態となり「俺、脳が疲れたよ」と言っていたという。

病院に行くことを勧めたものの「3月の仕事が終わるまで病院には行けない」と行かず、そのうちに体調も戻ったというが、亡くなった12月30日にはスタジオから帰宅、夕食前に大瀧さんがリンゴの皮をむいている時に突然「ママ、ありがとう」と大きな声で言って倒れた為、救急車を呼び、到着まで心臓マッサージをしたが、そのまま帰らぬ人となったという。

 

15時~18時までは一般向けに追悼献花台が置かれ、大滝さんのスタジオや自宅を再現したブースには、縁の品々が展示され、30代の女性ファンは、「表舞台に立って活躍していた頃をリアルタイムでは知らないが、今回の展示でそれに少し触れられた気がした」と話していた。

 

改めて大滝詠一さんのご冥福をお祈りしたい。

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