遠野なぎこ 摂食障害等、様々な症状 子供の頃からの過酷な生い立 ちとは?

ここ数年、自身の壮絶な生い立ちや、過激な発言で、バラエティーやトーク番組などでの発言にも注目が集まる女優の遠野なぎこ。

 

 
遠野といえば、聞けば驚くような話がたくさん出てくる。
こういった遠野の過去を聞くほどに、摂食障害という病気が彼女の生い立ちに深く関係していることがうなずける。

摂食障害。食べて、吐いて、死にたくて。

 

●遠野なぎこの生い立ちとは?

遠野はドラマなど数々のエキストラなどを経て6歳から子役として活動を開始、当時はやりたくてやっているというよりも、母親の期待にこたえるためにやっている部分が多かったというが、学校では机にかけている置きバックは朝行くとびりびりにちぎられるなど、妬みや嫉妬によるイジメの標的にされていたという。

 

そんなイジメから逃げるように学校を休みがちになった遠野は精神的に追い詰められる中、「演技を頑張れば母親だけは愛してくれる」と子役業に没頭したという。

 

母親の愛情を受けたいという一身で、頑張っていた遠野だが、実は当初、児童劇団に入っていたのは遠野の弟妹だけ。

 

遠野が母親に愛を求めているのに対し、母親は18歳で遠野を身ごもり19歳で出産、女優になりたかった夢を諦めたという。「秋美(遠野の本名)が産まれたから私は好きなことが出来ない」と口にした事もあり、母親はあからさまに遠野に冷たく、何か気に入らないことがあれば、暴力でストレスのはけ口にされたという。

 

それゆえ子供らしいわがままを言わず、楽しそうな弟たちの姿を毎日眺めていたのだというが、そんな彼女に転機が訪れたのは、「お姉ちゃんも子役やってみない?」という兄弟が通う児童劇団の講師の一言だったという。

 

児童劇団の講師が遠野の演技を褒めると、母親が喜ぶ姿が見たくて必死で頑張りつづけ、子役として次々に成功をおさめていくのだが、遠野によれば「連れて歩くんだけど、それは人の目に触れさせるために歩くだけ、ブランドの一つとしてアクセサリーとして、私自身に興味があった訳ではない」と話している。

 

それでも一緒に歩くのは嬉しかったと語り、遠野にとってその時間は大切な物だったようだ。

 

しかし家では母親に「下の二人は可愛いのに、どうしてあんただけ可愛くないのかしらね。醜い醜い」と罵声を浴びせられる毎日だったという。

 

遠野が11歳の時、父と離婚、そしてすぐに新しい男を見つけ再婚するのだが、母親は、当時6年生の遠野にお父さんと一緒にお風呂に入ることを強要したり、母が夜の仕事を始めると、遠野は女優の仕事の傍ら全ての家事をこなしていたというが、いくら尽くしても尽くしても母からねぎらいの言葉はなかったという。

 

そして、遠野が思春期になりスタイルを気にし始めた頃、母親から「食べたらすぐ吐けば太らない」ことを教えられたという。
しかし、母親の基準は50キロを超えたらデブというもの。
実際に、吐くことで体重は減っていき、異常ともいえるアドバイスを愛情と感じてしまったという遠野。

 

これが元で摂食障害に陥る事になり、精神的なストレスによって過食や拒食など異常な食生活を送ってしまったという。
精神的に追い込まれた遠野は自分の存在を確認するために、最初はリストカット、そして瓶が空になるほど睡眠導入剤を飲み倒れると、ほぼ1日意識を失っていたという。

 

しかし、このような状態になり、マネージャーが連絡しても母は来る事はなく、娘の一大事より不倫相手を優先するという現実。
命を懸けても母を振り向かせられない現実を知ると、母に対し、今までになかった感情が芽生えたという。

 

バラエティー番組でスピード離婚が話題になっていた数年前のこと、遠野は自らの手でその生涯を終える事を考え、首をくくるロープまで購入し、遺書を書きはじめるが、お葬式ですごい着飾った母親が悲劇のヒロインを演じている姿の想像がつくと、「私が死んだら母親が主役になってしまう!」と、母親と決別して生きる決意をしたという。

 

そして、それ以来、母とは何年も会っていないそうだ。

 

こうした幼少期からの過酷な精神状態が、成人しても様々な病に侵され、遠野を苦しめているといえるようだ。

 

そんな、遠野だったが、5月に結婚してから、19年間苦しめられてきた摂食障害の症状の一つである過食嘔吐が止まったと話す。
その理由については、最近の記事で語っているので、興味のある方はチェックしてみてほしい。
 

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