田中将大 サイ・ヤング賞候補で高まる評価 かつてのライバル斎藤佑樹との明と暗

メジャーデビュー以来、好投を続ける田中将大。

 

 

今や押しも押されもせぬ、ニューヨーク・ヤンキースのエースに成長した田中が5月のア・リーグ月間MVPを受賞した。

 

無敗の男―田中将大~「強さ」をつくった師の流儀

6試合(43イニングス)に投げて5勝1敗。防御率が1.88で1完封、奪三振=42、与四球=6という立派な数字をあげ、ヤンキースの投手としては、2013年8月のイヴァン・ノヴァ以来。新人投手としては2013年7月のクリス・アーチャー(レイズ)以来の快挙だという。

 

米スポーツ専門チャンネルESPNは、「リーグ月間MVPを勝ち取るには十分すぎる素晴らしいピッチング」と激賞した。

 

日本にいた2012年8月から続いていた公式戦連勝記録は「34」で途切れたが、その後も安定した投球を見せる右腕を手放しで褒め称えた。

 

6月に入り、現地6日に行われたのは現在、ア・リーグ最高勝率のアスレチックスとの試合。

 

ヤンキースタジアムのマウンドに田中が上り、紹介レポートには「STOPPER(ストッパー)」とのコピーが躍り、現地の実況は、「これまでに田中は何度もチームの連敗を止めてきた。だが、今日こそ『その真価が問われる試合になる』と繰り返した。

 

というのも、アスレチックスの今季の成績は本塁打数、得点、打点など、すべてリーグ2位であり、粘り強さに破壊力が加わった今年のチームの攻撃力はなかなか手強い。

 

そしてヤンキースはといえば、前回ツインズ戦で田中が勝って以来、4連敗中であり、この日はアスレチックスとの3連戦の最終戦、前2戦はいずれも逆転負けしており、この日の試合も田中のピッチングに注目が集まっていた。

 

そんな試合に、持ち前の粘り強さで6回1失点で降板、その後のリリーフ陣も守り抜き、ヤンキースは勝利し、田中は9勝目をあげている。

 

そんな仕事ぶりに対して、監督からもチームメイトからも高評価を受けた田中は、アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNはこれまでも「Mr. Adjustment(修正男)」から、その更に上の「the king of adjustments(修正王)」といった田中の活躍に応じた呼び名をつけてきたが、今日の試合後は「Mr. Reliable(頼れる男)」と“命名”し、気骨のあるピッチングを称賛している。

 

これを受け、アメリカのオッズメーカー「Bovada」では、開幕前はメディアの多くがア・リーグのサイ・ヤング賞の筆頭にダルビッシュを挙げていたが、田中をサイ・ヤング賞の候補の筆頭に挙げる声が高まっているというから、その評価の高さが伺える。

 

プロに入って、10年にも満たないうちに、ここまでの活躍を見せている田中がすごいのだが、かつてライバルと呼ばれた斎藤佑樹の姿はあまりにも対照的に写ってしまう。

 

振り返れば、8年前、2006年夏の甲子園での決勝の場面、斎藤は早稲田実業のエースとして、夏3連覇を目指す駒大苫小牧のエース・田中と投げ合い、激闘の末、延長15回でも決着がつかず翌日再試合。
志願して4連投となった斎藤は、早実を初の夏の全国制覇に導いた。

 

この夏、マウンド上でポケットから青いハンカチを取り出し、額を拭う仕草で女性ファンを熱狂させた斎藤は「ハンカチ王子」と呼ばれ、当時大人気となったことは記憶にあるだろう。
この時、人気が勝っていたのはあきらかに斎藤だった。

 

この二人の投げ合いは球史に残るものだったが、田中はプロへ、斎藤は早大に進学。
2人はそれぞれの道へと進んだが、田中はパ・リーグを代表する投手になった一方で、斎藤は4年の大学生活を経た後、2年間のプロ生活で11勝14敗。
そして3年目の今季は右肩を痛め、現在、二軍・鎌ケ谷球場でくすぶる日々を送っており、人気の方も、オールスターファン投票は2011年に5位、12年に1位。今季はベスト10にも入れない状況となっている。

 

余計なお世話ではあるが、女性誌に二人の稼ぎの比較がのっており、8年後の今、7年総額161億円(年俸23億円)という超大型契約でヤンキースのエースになった田中に対し、斎藤は一軍昇格を目指す年俸2800万円の投手である。

 

それでも、普通のサラリーマンよりはよほど高給取りではあるのだが、田中と競い合っていた頃を思えば、やはり明暗をくっきり分けた形だろう。

 

ざっと計算すると、年俸は田中が斎藤の82倍、単純計算では、田中は斎藤の年俸をたった5日間で稼ぎ出す計算になるというから桁が違ってしまう。

 

数年の間にこれほどの差がついてしまったのはなぜだろう。
もし、斎藤が高校卒業後、すぐにプロに入っていたらどうなっていたのか、斎藤にとって、早大進学はよい選択だったのかといった話が、良く聞かれる。

 

様々な意見があるようだが、投手として輝いていた高校時代から、大学時代の4年間の大事な期間に、投手としての環境、自分に必要な練習が出来ていたのだろうか、調子を落とした状態でプロに入ることになったのではといったことを指摘する声もあるが、斎藤が進学を選んだことを、今更どういっても仕方がないのかもしれない。

 

しかも、まだ終わったわけではない。
これから斎藤の底力を見せて欲しいと願っているファンもいるのではないだろうか。頑張って再び活躍する姿を見せて欲しい。

 

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